地元民寄稿:変わりゆくすみだ向島について考える

2021.10.25

すみだ向島EXPO隣人サポーターの北川奈々です。会場となるエリアのすぐご近所、八広で生まれ育ち、今も住んでいます。


今回はご縁があり、こうして記事を書かせていただくことになりました。


「最近、古民家風なおしゃれなお店が増えたな〜」

これが最近の地元周辺へのイメージでした。


空港に行く時は電車で1本、乗り換えなく行けるので、旅行好きな私にとっては交通の便だけは良い!あと銭湯が多い!


というのが私の持つこの街の印象です。押上にスカイツリーができてから、なんだか少しずつ新しいものが増えてきている気がしています。


押上が栄えるのは分かるのですが、なぜこの辺りが最近おしゃれになってきたのでしょうか。今回、すみだ向島EXPOに参加することで、この町の変化について何か知ることができる気がしています。


私と下町


すみだ向島EXPOのメインエリアとなっている辺りには、親戚や友達が住んでいたのでよく遊びに行っていました。商店街のフライ屋さんで最安のポテトを買ったり、奮発してコッペパンを買って食べたり、入り組んだ裏道を使って、永遠に終わらない鬼ごっこをして幼少期を過ごしていました。大人になってからは赤提灯のお店にお世話になっています。


仕事は保育士をしています。


私が保育士をしているルーツは、この地元で過ごした思い出や体験にあります。


子どもだった25年位前は、今よりも町内会や子ども会が活発で、夏は林間学校や移動教室やどじょうつかみ、秋は地域対抗運動会、冬はお餅つきなど、よく季節のイベントが催されていました。また、ご近所さんには挨拶をして、ちょっとおしゃべり、「行ってきます!」と学校へ向かう。そんな日常を過ごしていました。


地域の人達との関わりが当たり前にある中で、日々過ごしていました。


地域のイベントがとても楽しくて、友達とよく参加していました。そこでお世話になった地域の人達や、10歳ほど年の離れた先輩達が一緒に遊んでくれたのが嬉しかったのを今でも覚えています。


地域の人達や先輩達の姿に憧れ、また自分もそうなるのが当たり前だと思っていたので、高校生や大学生になっても地域のイベントには参加し、お手伝いや小中学生のサポートをしていました。


その経験が保育士に繋がっていったのだと思います。


地域の人達との関係は大人になっていからも変わらずにありました。二十歳になり初めてお酒を教えてもらったのも地域の人達でした。


今時珍しい、繋がりの強い地域だと思っています。


良いことでもありますが、それが裏目に出ることもあったようです。


これは母世代の人から聞いた話ですが、外から嫁いできた人に対して、少し厳しい面もあるということです。


挨拶ができなかったら、噂になったりすることも……。しなかったわけではなく、急いでいてできなかった。そんな事情があっても負の印象がひとり歩きしてしまう。


これは一概にこの地域特有のことという訳ではないとも思います。


ただ、少なくとも新しい事や人を受け入れるには、いつの時代もどんな場所でも時間がかかるのかなと感じています。


長屋文化について



子どもの頃、病院帰りは長屋の前を通り、商店街でおやつを買ってもらう。


というのが一連のコースになっていたので、子どもの頃から長屋の存在は知っていました。また、生活の中に当たり前にあるものでした。


東京大空襲の時にこの辺りは一面焼け野原だったのですが、焼け残った長屋があるというのを祖母から聞いたことがあります。


古い建物で、戦争を経験している。


となると、子どもの頃は怖いものと認定され、幽霊が出る!!とみんなで騒いで遊んでいたこともあります。


その後、大人になってからも、仕事で長屋に行くことがありました。


働いていた保育園の子ども達と長屋に行くというイベントがで、これが初めて私が長屋を身近に感じた出来事でした。


長屋に住む人達との交流は子ども達も楽しみにしている事のひとつでした。長屋に住む人達には不思議な暖かさがあり、子ども達もどこかでその暖かさを感じていたと思ういます。


長屋を通じて人と人とが繋がる。そんな時間が流れていました。


しかし老朽化もあり、長屋の取り壊しが進んでいる現状を、すみだ向島EXPO実行委員長の後藤大輝さんから聞きました


長屋がなくなるということは、子ども達が地域の人と繋がれる場が失われるということです。またさらには、戦争を経験した建物がなくなるということは歴史的にも重要な意味を失う事になると思います。


人が人と繋がる場


こんな時代だからこそ、長屋には大きな意味があると思っています。


この町が少しずつ変わっていく



この辺りを散歩がてらに歩いていると、こんなところにお店ができている!こっちは何か作っている途中みたい!飲食店かな?!とワクワクします。


ここ数年で、この地域の変化に私や私の地元の友達は驚いています。子どもの頃、幽霊がいそうだと噂していて家屋が、今では古民家カフェやアトリエになっているからです。


家と家が密集していて、木造の古い家もあり、火災が起きれば一気に燃え広がる。危険な地域と防災を特集したテレビ番組でも言われているのに……。


なぜハザードマップで真っ赤なこの地域に?と疑問に思っていました。


その疑問はこの記事を読んで解消しました。


防災への課題解決は必要です。それを色んな角度から課題に取り組み、地域住民レベルで考える手段として、町にアートを含む様々な方法が導入されていったそうです。



なるほど。ただ新しくお店ができているわけではないのか。そこには、多くの人の想いがある。しかも、この土地で生まれ育った人ではなく、このすみだ向島という地域に引き寄せられた人達の。


では、昔から住んでいる私には何ができるのでしょうか。何もないと思っていた地域が、色々な可能性がある事を知り、本当に驚いています。


この街の未来



今、この街には新しい風が吹いていると感じます。

新しい事に挑戦し続け、昔からの文化をしっかりと引き継いでいく街であってほしいと願っています。


また、私は保育士をしているので、子ども達の未来のことをいつも考えてしまいます。


色々な文化があり、そこには多くの人達の想いもあります。そういうのをひっくるめて子ども達には、この街を見て、感じてもらい、自分の価値観を築いていって欲しいです。


時代に合わせて変わりゆくこの下町の景色。


何を引き継ぎ、どう時代と共存していくか、私達がしっかり考え、行動に移していく必要があります。


昔から住む私達、新たにこの地域に来た人達でこれからのこの街を作っていくのだと思います。


そういう風に考え始めたのは、すみだ向島EXPOに関わり、仲間の人たちと話す機会があったからです。


私も、この生まれ育った街のことを考えていきたいです。


昨年に引き続きコロナ禍のでの開催となりましたが、すみだ向島EXPOは日常生活がベースにあるからこそ、大きな意味があると思います。


人と人との物理的な距離は遠くなってしまったかもしれません。しかし、そこは下町の人情なのか、久しぶりに会えば


「最近どうよ?」「元気?」


と近況を伝え合う姿があります。


そして何より、このような状況にも関わらず、新しいお店が増えています。この地域はもう明るい未来に向かって動いている人がいるようです。


そうした日常を伝えるために、すみだ向島EXPOがあるのだと思います。